過去と他人は変えられない?
高校の同窓会が四年に一度開催される
とてもまとまりのある学年で、同窓会はクラス単位ではなく学年単位でホテルのパーティ会場で行われる
そこで司会をやらせてもらったときにある同級生から衝撃的な言葉をかけられた
彼とは高校時代あまり接点もなくまともに話したのはその時が初めてくらいだったが
「さすがだね!生徒会長もやってたもんね」
⁇
生徒会長など一度もやったことがない…
一瞬、自らの記憶を疑ったがニコッとだけしておいた
未だに彼の記憶の中の生徒会長は僕だ
人の記憶はとてもいい加減なものだ
過去にこだわっているのは自分だけ?
よほどのことではない限り他人は過去のことなど覚えていない
自分でさえ記憶は曖昧だ
過去を引きずっているのは自分だけでたくさんのトラウマに未だに引っ張られていることも少なくない
それほど過去というものはフワッとしているものである
過去の事実は変わらない
過去と他人は変えられないと多くの人が言っているが果たしてそうなのか?
確かに過去の事実は変えられない
記憶は曖昧でも形やデータに残ってしまう
これはどうにも変えられない
いくら人の記憶が曖昧でもインパクトのある事実も変えられない
しかし…
過去の解釈は変えられる
その時の自分は過去の出来事をマイナスと捉えていたが成長した今となってはプラスに転じていることはないだろうか?
僕自身、幼少期に習い事や通信教育などたくさんやらされていた
野球、空手、スイミング、書道、英語、進研ゼミ、中央出版…
やらされていたという表現通り、自らの意思でやっていたものは何一つない
そのせいもあってどれも中途半端で極められたものが一つもない
どれもそこそこまではいくが自分より優れた人が現れると他のものに逃げるクセがついてしまった
この何においても中途半端なことが自分ではコンプレックスだった
何か一つに絞っていれば極められていたのに…と、いつも親や祖父母のせいにしていた
そんな自分が美容師となり何をやっても中途半端なまま時は過ぎ、運良くマネージャーになってから心境が大きく変わった
マネージャーという仕事はとにかくやることが多い
いくつも仕事を掛け持ちし、スタッフに協力してもらいながら全体を動かす
そのときに初めて中途半端だった自分がオールマイティに変わった
その瞬間、過去の掛け持ちがコンプレックスから強みに変わった!
今ではあれだけ色々なことを経験させてくれた両親に感謝している
今をどう生きているか?未来をどう生きるか?で過去の解釈は変わる
どんなネガティヴな出来事も自分の見方を変えれば解釈は大きく変わる
事実は変わらないが解釈が変われば事実は変わったようなものだ
ネガティヴがポジティブに変わったら事実などもはや重要ではない
今と未来は変えられる、だとしたら過去も変えられる
過去起きたことは出来事にしか過ぎない
それを意味付けているのは自分だ
未来と自分が変われば過去と他人は変わる
過去も他人も自分自身が生み出した結果論だ
こうして過去や自分から逃げずに、一つ一つオセロをするように黒から白にひっくり返せばいい
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